自宅兼アトリエ

1984年生まれ。夫、一児の父。

夫婦のあいだの符牒

夫婦のあいだの符牒で、子どもがうんちをすることを「納品」と呼んでいる。長男が生まれて間もない頃からなので、かれこれ2年ぐらいになる。

「納品してるかも。ちょっと手が離せないんだけど見てもらえる?」
とか、

「今日は納品あった?」
「今日はまだ。でも昨日の夜、しっかり2回も納品してるから十分よ」
というふうに使う。

あるいは、僕が息子を肩車しようとしているときに、
「いま納品中だから気をつけて!」
と妻が声をかけてくれる。

とっさのひとことで出てくるぐらい定着しているので、家の外で通じないのがにわかに信じられないが、うっかり自分たちの親の前で納品がどうのと言うとしっかり怪訝な顔をされる。

納品と言い出したのは僕みたいだ。子どもが顔を赤くしてがんばっている感じが面白くて、「ご納品ありがとうございます!」と言った覚えがある。元気なうんちがたっぷり出るのは感謝なことなので、我ながらしっくりくる言葉だと思う。むやみやたらに「うんち」と言わずにすむのも便利だ。

納品と言うからには納期らしきものもある。保育園に間に合う(正確には保育園に送りとどけたあと会社に間に合う)ためには、家を出る10分前ぐらいまでに納品を済ませてもらえるととても助かる。それ以降になると少しバタバタすることになるからだ。修羅場と呼ぶのは大袈裟すぎるけれど、特急料金ぐらいはいただきたい、こっちも商売なんでね、というイメージだ。

長男も2歳になって親の言うことをいろいろ真似してしゃべるようになってきたので、そろそろ気をつけなければならないと思いつつ、なかなかやめられそうにない。